世界的スターでディーバ(歌姫)のビヨンセが、CBDとはちみつの工場を作っていることを、インタビューで答えました。
ビヨンセの影響力は絶大で、2014年には米経済誌フォーブスが毎年発表している「世界で最も影響力のある有名人」の1位に選ばれたことがあります。
アメリカはCBD世界最大の市場ではありますが、ここで更に世界一の影響力を持っている方の行動が、更なる活性化を生み出すことは間違いありません。
世界最古の女性向け雑誌としても知られるBAZZARにて、デビューからこれまでを振り返ったインタビューでもとてもキュートな一面を見せるビヨンセがCBDに何故ハマったのか?
紐解いていきます。
CBDにハマったビヨンセ、どんなひと?
大スターのビヨンセことビヨンセ・ノウルズ・カーター(Beyoncé Knowles-Carter、1981年9月4日 - 以下ビヨンセ)は、幼少の頃にダンスを習い始めほどなく、人前で歌う時に別人格と思えるほどのパフォーマンス能力に長けていることに自身と両親と共に気がつくと、まずはママのバックアップで地元大都市ヒューストンでユニットグループGirl's Tymeを結成。
タレント発掘番組でも圧倒的なパフォーマンスをするなど、若い頃から注目をされると、やがてグループは4人になり、旧約聖書から取った名前、Destiny's Child(日本での相性はデスチャ)に改名。
輝く才能は、有能なプロデューサーやディレクターによって更にめきめきと力をつけて、満を持してコロムビア・レコードと契約。
17歳にして、デビューシングル「No, No, No Pt.2」がいきなりのヒット。
直後に販売したデビューアルバム「Destiny's Child」には錚々たるメンバーのプロデューサーが集まり、いきなりゴールドアルバムに選ばれます。
振り返ればこの時に成功の道程を歩み始めたと考えられますが、シングル「Bills,Bills,Bills」が遂に全米ナンバー1ヒット。Destiny's Child人気を不動のものにします。
即座に2ndアルバム「The Writings On The Wall」をリリース。
世界的に知られるR&Bグループになりました。
この頃、ビヨンセの人間性を示すエピソードがあります。
ビヨンセはそのステージングにとても定評があり、デビューからプロ意識の高さを称賛されていました。
本来の自分自身とステージに立ったときは別人格で、度々その人格を
幼少の頃からマイケル・ジャクソンに強い憧れを持っていましたが、ライブ中に舞台袖でマイケルが自分たちのパフォーマンスを見ていた時には、歌詞が飛ぶほど舞い上がってしまったというエピソードがあります。
そしてまさにジャクソン5のような、ファミリーの後押しがあり、Destiny's Childは名を挙げていきました。
ビヨンセのパパは、高年収だったゼロックスでの勤務を辞職。長女に全人生を投資することにしてマネージャーになり、ママは衣装とスタイリストを担当。
彼女が一気に成功の階段を駆け上がったのは、父母の存在無くしては語れません。
彼女の口から幾つものメディアで、何度も伝えられています。
日本でもデスチャの相性で親しまれ、またBeyonce本人もソロデビューで成功を収めた後、日本での公演を特別なものとしてファンを喜ばせる演出を何度もしてくれています。
ソロ・デビュー後更にスターへ
実はビヨンセのソロでの成功より前に、メンバー変更の折にも唯一残った
その直後に出したケリーのアルバムにはビヨンセも関わっており、本人にとってはとても喜びが大きいものでした。
そして2003年、旦那さんでもあり、現在は最高級Cannabisブランド:Monogramを展開するJAY Zとの曲、Crazy In Loveが8週連続ナンバー1のクレイジーヒット。
この曲に使われているイントロは
Chi-Lites のAre You My Woman(Tell Me So)をサンプリングしています。
そしてリリースされた1stアルバム「Dangerously in Love」が売れに売れまくりました。
全世界で1100万枚。2003年時での東京都全体の人口位売れました。
こうしてビヨンセは、全米に留まらず世界の大スターになっていったのです。
プライベートや騒動でのストレスはいかほどか
日本にも数え切れないファンがいるビヨンセですが、スターには様々なストレスが付きものです。
しかも、ビヨンセはスタイリストであり経営者でもあったママのティナを心から尊敬。
自分自身も歌って踊るだけでなく、19歳から既に曲作りを始め、その後 会社を設立。
映画を作りボランティア団体を立ち上げるというとてつもないバイタリティで活動を続けてきました。
2017年には双子を出産し、今や3児の母親でもあります。
働きまくるスターであったビヨンセは、インタビューでセルフケアを誤解し、メンタルケアを怠っていたと答えています。
国歌斉唱が口パクだとマスコミに叩かれた際には、そのマスコミを集めた記者会見でいきなり国歌をアカペラで歌い「any question?」と言い放ち全世界を痺れさせたことはあまりにも有名。
あることないこと言われることもストレスになっていたはずです。
ビヨンセ CBDに出会う
ツアーが始まると不眠症に長年悩まされ、何度も大きな怪我をしてきたビヨンセは、古傷や痛みを幾つも抱えていたようです。
そんな折、こちらを読んでいる方には
と言った感じになると思いますが、アメリカの大スターはつい最近までCBDに出会っていなかったようです。旦那の仕事知ってんのかな?
いずれにしてもどうやらCBDは、彼女にドンピシャだったようです。
CBDとはちみつの工場を建設中
「痛みに炎症、不眠の夜を助けてくれた。」
彼女はそうインタビューに答えました。
今年40歳になる彼女は、自由をテーマにしながらも、他の事業への夢、家族とのかけがえのない時間を過ごし、そして長い旅行をしたい。
と語りました。
30年の芸能活動で、彼女の魅力が衰えることが無く、尚輝き続けていくことにCBDが必要であると気づいてくれたことは、とても嬉しいことです。
多くの人が、CBDを知ることになるでしょう。
「CBDとはちみつの工場を作っていて、屋根にはハチが巣を作っているわ」
笑顔で回答するキュートなビヨンセが目に浮かびます。
これからも、活躍することを祈ってやみません。