私の周りには信心深い方が多く、参拝を薦められることが少なくありません。
最近は近くの神社によく参拝します。普段の生活にはない緊張感があって、私からもオススメします。
ある時とある神社の伝記にて、江戸時代にCBNが効いて緑内障を治癒したのではないか?
そう思わせる記述を見つけました。
江戸時代に遡るその伝記から、当該神社では眼病治癒の特殊信仰があります。
今回は昔から日本にも麻文化が浸透していた事がわかる、そんなお話です。
CBNで緑内障を治療?その伝記は麻を祀る神社に
実は、麻や大麻を祀る神社は少なくありません。
眼病平癒信仰があるその神社は、縁あって訪れるのは二度目。
一度目はまだ一人でVapeManiaを運営していた頃。
参拝したものの、先行き不安な私は頭がいっぱいでその伝記に気がついておりませんでしたし、CBNのことなんてわかってやいませんでした。
再度訪れた際に学んでみると、そこにはカンナビノイドCBNのご利益と思われるものに目が留まりました。
その神社とは、宮城県仙台市にある
1170年前に麻の栽培が伝わる
と、始まる由緒・沿革の青麻神社。
神紋には麻の葉模様を採用。
今もこの地に訪れると、夏には緑が生い茂り、社の手前には麻衣の滝等を要する清らかな水が流れる小川があり、麻の栽培に適していたのであろうことがわかります。
麻の栽培には傾斜地がよく、水はけの良い土地。高い木々に囲まれ、強風の影響を受けることも少ない場所でもあり、それなりに適していたと考えられます。
(最適な場所は更に砂礫があり痩せた土地が良い。)
その青麻神社にて、CBNが眼病治療に活躍したのでは?と感じられる伝記がこちら。(長いので下記に要約掲載)
所兵衛は老人の教えの通り、毎夜丑の刻(AM2:00-4:00)に天を拝み続けた。
やがて所兵衛は月の光が感じられるようになり、30日余り過ぎた頃、目の病が全快した。
その後、再び現れた老人は常人とは違う人心を射る鋭い眼光をしており、恐れ
「我は源義経の家臣・
と聞かれ、所兵衛は
「村人がかつてより大日如来・不動明王※・虚空蔵の三仏を祀っております。」
※今も祀られています。
と答え、
「吾が祈念すつ所も日月星である、今よりこの土地の窟に三光神(
と言って、老人は三光窟の中へ入っていった。
こうして所兵衛の眼病快癒をきっかけに、青麻神社は眼病平癒のご利益がある場所として知られるように。
更には
仙人は答えて、「桑の箸で食すれば、その病は全開し長寿するであろう。」
と教えた。
他にも奇異な伝説がいくつもあるとのことで、現代になっても全国津々浦々から青麻岩戸三光窟また青麻権現と崇められて、現代でも祈願するものが絶えない。
*1,斎戒沐浴
神仏に祈ったり神聖な仕事に従事したりする前に、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清めること
斎戒...物忌み(とある種の日常的な行為をひかえ穢れを避けること)をすること。神を祀るときなどに、心身を清め汚れを去ること。
沐浴...穢れを払う為に体を洗うこと。
とされています。
長いので要約。
その後、老人が再び現れ、義経の息子を助けた等伝説の多い常陸坊海尊 a.k.a 清悦と名乗り、三神を祀りなさい。と指示。
そうして、眼病平癒のご利益があると知られるように。
また他にも、近くの山中で仙人に出会ったキコリが、半身不随を患った母の相談をすると桑の箸でご飯食べなさいと指示された話など多数伝説があり、人気の神社となっている。
敢えて後半の話から着目すると、桑の木とは、麻についても
そして最も着目すべきは眼病快癒の点です。
今尚麻紋を使っている青麻神社付近では、江戸時代にも当然に麻の栽培が盛んだったと考えられます。
麻に含まれるカンナビノイドは、視野がだんだんと狭くなり視力を失うことも有る病気、緑内障にとても相性が良いとされます。
2020年になって、緑内障に対してはTHCやCBDと比較しても、特にCBNが最も適しているとアメリカの上場企業InMed Pharmaceuticalsが発表。
INM-88という緑内障向けの新薬にCBNを使っていることを明かしていましたが、その効果を裏付けた形です。
出典:INM-088 key preclinical results as a drug candidate to treat glaucoma
桑が青麻神社の周りに豊富だったかどうかは不明です、しかし青麻神社は麻の栽培が伝えられた地として、地名もその名残があります。
青麻神社までの道程は青麻道と名がつき、青麻神社の住所は、宮城県仙台市宮城野区岩切青麻山です。
CBNが活躍したと考えた理由
ここで近代史を振り返ります。
日本で麻の栽培が厳しくなったのは戦後、法律と時代や世界の潮流に呑まれて衰退していきました。
先程挙げた伝記は、語訳を時代に沿って書き換えたのではないか。つまり、時代と共に麻の表現が削られたのではないか?
と考えました。理由は次の3つ。
- 樵人の母親が患った中風の相談に対し、桑という具体名で回答しているのに、眼病に対してのアドバイスは斎戒沐浴とだけ回答している点
- 過去東北では麻の茶を煎じて飲んでいた記述が漫画でも確認されている点。
(出典:ボクの手塚治虫 矢口高雄著) - 戦後アメリカで初めて国から医療大麻が処方されたのは、1975年緑内障を患って使っていたロバート・ランドールで優れた結果が認められている点。
1、伝記のメインストーリーである眼病快癒、三神や常陸坊海尊等の名前があり神社の伝記としては申し分無いと感じられる。しかし、その後中風の話で、桑の”箸”で食べることを助言しているのに、眼病療法には斎戒沐浴だけとはとても不自然。民間療法、あるいは自然療法的なアドバイスが本来あったのではないか?歴史と共に麻を使えという一節が、消された?と考えるのは行き過ぎだろうか。
2、眼病の話ではないが、秋田の漫画家矢口先生「ボクの手塚治虫」に描かれた、大麻を絞った塩を混ぜた茶で作者の母親が日射病を治す民間療法の1ページ。昭和の時代であっても東北地方で麻の民間療法は活きていたことが伺える。1日で回復。
3、民間療法的に使っていたロバート・ランドールは自家栽培していたことで逮捕起訴される。しかし治療に使っていたことをマメに記録を残していたことで、大麻で緑内障療法を裁判の結果と共に勝ち取った。臨床試験がない中でも(1975年=)昭和50年には、アメリカ国家のバックアップを受けて緑内障の治療にカンナビノイドが役立っていたことが証明された。麻の栽培が盛んだった当地で、民間療法的に使われていたのではないだろうか?
これらは推測に過ぎないのでしょうか?
CBNで緑内障を治癒は飛躍しすぎなのか
こちらは青麻神社の絵馬。
ドキリとするデザインですが、よく見ると目に麻の葉模様が入っちゃってます。
ただ、青麻神社という名前、そして幾つかの伝記をなぞってみると違う角度の考えも見えてきます。
青麻は大麻ではない?
通常青麻=
※苧麻からも大麻同様繊維が取れる。
ただ、先述の青麻神社沿革に書かれた麻ですが、通常麻といえば大麻のことを指します。
ところが日本は色々ややこしい。
1962年に家庭用品品質表示法という法律が出来た際、家庭用品に該当するものについて、麻と表示が出来るものは亜麻(あま/リネン)または苧麻(ちょま/ラミー)を材料とした製品に限ると定められてしまいました。
それでもやはり穂積保昌が伝えた麻の栽培、とは大麻のことを指しているのだろうと確信しています。
麻の葉模様は仏像の装飾に使われたいのが元ですが、何故それが麻の葉模様になったのか。
日本では主に繊維として栽培されていた麻は、畝の感覚を狭くします。
これは麻をまっすぐ伸ばすことを目的としているためで、そうすると麻の葉が密集し、上から見ると麻の葉模様が浮かび上がってきます。
これが麻の葉模様の起源。麻の葉模様は苧麻の葉ではなく大麻の葉を表しています。
目に麻の葉模様の絵馬はまさにそれを表してはいないでしょうか?
謎が深まります。
もしCBNなら摂取方法は?
CBD商品やCBN商品は実に様々なプロダクトがありますが、それは現代の話。
所兵衛はどのように摂取していたのでしょうか?
茶にして飲んだ
先程紹介した通り秋田では、塩と麻の葉を混ぜて茶として飲んでたようです。
しかし現代の技術や栽培の自由化が無ければ、葉からだけですとカンナビノイドは少ししか摂ることが出来ません。含有量は花が最も多く、しかもCBNは通常殆ど摂れません。
カンナビノイドを最も多く含む花まで茶にして飲んでいた可能性はどうだろうか?
日本茶は葉を蒸して乾かしてから飲む文化が一般的ですが、実は江戸時代、出雲の大名茶人として知られる松平
また、中国では日本茶と同じ茶樹(ちゃのき)を使った茶の文化がありますが、花茶と言われ6,000年前から飲まれ続けています。
花茶は花を蒸して乾かしてから飲む方法です、同様に麻の花穂をそのようにし、THCが分解生成したCBNを豊富に含んだ茶を飲むことが出来ていたとすると、所兵衛は30日茶を飲み続けていたのでしょうか?
喫煙していた
あるいはロバート・ランドールのように喫煙していたのでしょうか?
結論から言うと、大麻を喫煙していた記録は明治時代まで確認されません。
では時代背景から推察してみます。
喫煙文化は桃山時代に日本に入ってきたとされます。
慶長時代(1596年-1614年)には喫煙を描いた絵画が多数残っております。
発酵させて乾燥させるなどの手間が必要ですが、美味しくて香りある他の草葉を喫煙に挑戦をする者がいてもおかしくないでしょう。
この伝記は天和2年、1682年のものですから煙草を吸う文化はすでにありました。
もし伝記に老人曰く「麻の花を乾燥させてキセルのように吸い、斎戒沐浴しなさい。」と書かれていたとしたら、これは戦後に消す必要があったかもしれません。
オイルにして飲んだ
オイルを飲む歴史を紐解くと、エゴマが古来より生活に浸透していたようです。その出土記録は5,500年以上前の遺跡から確認されます。
平安時代、貞観元年に確立された搾油法(長木(ちょうぎ、ながき)の搾油)は、山崎油座と言われて朝廷に認められ独占権を与え長きに渡って栄華を極めますが、応仁の乱(1467年 - 1477年)で衰退し、その後の楽市楽座で大きなダメージを受けます。
一時的にエゴマ油は超高級品になりますが、江戸初期には菜種油の生産が奨励されて
この搾油法は
享保2年(1717年)創刊の和漢音釈書言字考節用集では既に八穀の一つ(稲・きび(黍)・大麦・小麦・大豆・小豆・あわ(粟)・麻)に数えられていた麻の実。
食用として使われたいた事は間違いありません。
また、元禄10年(1697年)に創刊された農業全書に油になっていたことが記録されています。
オリーブオイルは安土桃山時代に薬用として飲む文化が輸入されていたといいます。
現在のようにヘンプシードオイルとして飲んでいたりしたのか?あるいは花穂ごと搾油機を使ってオイルにして薬用に使ったのか?
残念ながら前述の農業全書と和漢音釈書言字考節用集にも、麻をオイルにして飲んだという記録は残っていませんでした。
農業全書に掲載された麻の実を油にしたものは、寺社仏閣に使われた
まとめ
青麻神社神楽殿
私は19の頃飛蚊症という目の症状に気が付き以後、蚊のような雲のようなそれは、増え続けています。
眼科医は治療の必要がないし、慣れてくるといいますが、治せれば治したかったし症状が出たときには目が見えなくなってしまうのではないだろうか?と恐怖に慄いた記憶があります。
所兵衛が緑内障で、見えなかった目が見えるようになり光を感じられるのはどれだけの喜びでしょうか?泣いて喜んだに違いがありません。
今回のブログ、人によっては、随分飛躍した推理だな!とご指摘を頂くかもしれませんが、ロマンのある麻の歴史を紐解く読み物、としてご理解賜われれば幸いです。
眼病治癒の祈願を信仰にしている寺社は多くありませんが、VapeMania付近関東にも複数あります。東北の方は是非青麻神社へ。
現在CBNプロダクトは幾つもございます。是非お試しになってみて下さい。
青麻神社:ホームページ
参考資料:日本人のための大麻の教科書 / 丸山ゴンザレス裏社会ジャーニー 【大人の社会科見学】大麻博物館に行って大麻のことを1から教えてもらった。 / JT / 第96号 植物油Information 油祖の地に花咲いたエゴマにかける夢