シャーロット・フィギーをご存知でしょうか?
今日のVMC VapeMania CBD Dispensary があるのは、彼女のおかげです。
私は会ったこともない彼女の存在を、一生忘れることはありません。
当時齢6歳の少女である彼女が、全世界にCBD を広めました。
目次
世界にCBD を広めた少女 シャーロット・フィギー
世界中で大麻についての見方が変わり始めた、20世紀の終わり。
21世紀になって尚、多くの国で大麻は違法薬物として、アンダーグラウンドな組織の資金源になっていることは事実です。
しかし、90年以上前から、しっかりとした薬学に基づく研究がされており、事実Cannabis オイルは様々な用途で使われていたことがわかっています。
出典 ナショナル ジオグラフィック 別冊
2013年に、CBD が広まるきっかけを作ったアメリカ コロラド在住のシャーロット・フィギーが登場するのには、歴史を紐解いていく必要があります。
ハリー・アンスリンガーと規制物質法
アメリカで大麻が法律で縛られるのは88年前に遡ります。
1932年に大統領選での禁酒法が中心的争点になり、改正案を訴えていたルーズベルトが勝利すると同年、統一麻薬法という法律が出来ます。
禁酒法がなくなることにより職を失う連邦捜査官のために、大麻をターゲットにした組織が台頭。
DEA(麻薬取締局)の前身組織とも言える、アメリカ連邦麻薬局(FBN)です。
その局長になったハリー・アンスリンガー。
彼は30年間この職のトップに就き続け、映画などを使ったプロパガンダも含め、大麻の取り締まりに活躍します。
アンスリンガーが嫌ったメキシコ系移民排除も視野にいれ、一説には石油利権や木材資源ビジネスのためとも言われる、新たな法律が制定されます。
1937年 のマリファナ課税法です。
大麻に変わるものとしての薬剤や資材が次から次に出てきたことにより、大麻は数奇な運命を辿ることになります。
マリファナ課税法は、大麻そのものを禁止する法律ではありません。
中身を見ると、産業用大麻であれなんであれ、大麻製品1オンスにつき100ドルを課税するといったもので、事実上誰も大麻をつかった農業および産業が出来なくなる法律でした。
時は流れアンスリンガーが引退した、1969年 、幻覚剤サイケデリクスの第一人者として有名な、心理学者のティモシー・リアリーがCannabis所持で逮捕されます。
このとき最高裁がマリファナ課税法を憲法違反と判決。
マリファナ課税法は終焉を迎えました。
ところが。
翌1970年、世紀の悪法 規制物質法がアメリカ合衆国憲法として制定され、Cannabis(マリファナ)は、5つに分けられた薬物カテゴリのうち、
いかなる場合にも利用してはならない薬物、スケジュール1に指定されてしまいます。
ちなみに2020年5月現在、それは変わっていません。
この規制物質法によって、世界中の国が振り回されました。
ただその間も、アメリカを含めた少なくない国でHEMPやCannabisについての研究は進みます。
憲法上の問題があったものの、その有用性を訴える医師や学者にアクティビストは大勢いました。
私の生活にも欠かせなくなった CBD についても規制物質法策定から10年後、とある臨床試験が行われ、その安全性が確立されます。
小児てんかん へのCBD 臨床試験 Raphael Mechoulam 博士
1963年 、イスラエルのワインズマン研究所でCannabisの研究を始めたい、と考えた若い研究者がいました。
Raphael Mechoulam 博士です。
彼は各所で、科学者は研究課題を見つけることが最も重要であると語っています。
大麻は何千年も前から薬品や嗜好品として使われていたりするのに、その活性成分が分離されていなかったことに着目し、以来2020年の今日まで研究を続けています。
はじめ若かりしRaphael Mechoulam研究員は、レバノンで押収されたハシシが保管されている警察署にバスで取りに行き、周りの乗客に訝しがられながらも大事に持ち帰り、研究が始まります。
以降もこの研究所で、保健省から受け取ったCannabisで研究を続け、ある時精神活性成分であるのはTHCのみであると突き止め、1964年 世界で初めてTHCの単離に成功します。
その後もカンナビスについて研究を深めていった、Raphael Mechoulam 博士。
1980年 ブラジルサンパウロで、10名のてんかん患者を対象に臨床試験を行います。
その臨床試験は、CBD がてんかん患者の痙攣を軽減するといったと大きな発見を得ました。
小児てんかんにおいて、特に
- ウエスト症候群
- レノックス・ガストー症候群
- ドラべ症候群
については、難治性てんかん あるいは、薬剤抵抗性てんかん と呼ばれます。
定義としては発作が1年以上抑制されず日常生活に支障をきたす状態。
日本神経学会 - 難治てんかんん薬物療法より抜粋
Raphael Mechoulam博士は当時このエビデンスを学会発表しました。
Cannabis由来のCBD に大きな可能性がある。
しかし彼の意に反し、何も起こらなかったことを CBDa の化学合成成功を発表した2019年に受けたインタビューで嘆いています。
1980年 までの17年間、カンナビス及びカンナビノイドを研究し続けたなかでの臨床試験だったため、特に副作用がないことも論文に盛り込み、優れた抗てんかん薬にとしての開発がされると彼は強く願ったことでしょう。
そこから30年以上、CBD の臨床試験結果そのものが、誰にも顧みられることはありませんでした。
アクティビストと歴史
当時、私が生まれる前の話ですが、各書籍やインターネットの情報を照らし合わせる限り、 アメリカ連邦政府側の思惑とNIH(アメリカ国立衛生研究所)の思惑には乖離があったと思われます。
Raphael Mechoulam 博士との関係性にそのことが現れています。
- NIHは、Raphael Mechoulam博士の研究を全面的に支援(1963年から現在まで。)
- 論文は公表されず、新薬の開発には至らないが、NIHは1975年科学者に向けて、大麻にある化合物について研究すべきだと周知した記録があります。
- 1982年 当時医薬品40-50%の医薬品に大麻抽出液を配合することになる、とRaphael Mechoulam 博士は回答
現在もCannabisの知識がない方にとってはTHCがただハイになる成分。程度の知識ですが、当時のアメリカはまさにそれでした。
1975年 、NIH発信で大麻草の可能性については多くの学者が知るところになったのですが、薬品会社にいわゆる合成大麻成分を作らせるため、1976年に大麻草について大学での研究などを完全に禁止しました。
製薬会社に特許を取らせて儲けを生もうとしたのだと目されておりますが、その際に連邦政府側の発信は天然の大麻は危険。
といった発信になり、麻薬戦争の敵(コカイン,ヘロイン,マリファナetc)に仕立て上げられてしまいました。
しかしアメリカは自由の国。
未だ世界最高に有名なミュージシャンであるビートルズのメンバーもCannabisを使っていましたし、陸続きには高品質のマリファナが育ちやすい土壌が北にも南にも国内にもたくさんあり、またHEMP栽培は大戦中、国を挙げて盛んであった矛盾した背景もあります。
そのため、多くの人がCannabisを経験していました。
1976年、Cannabisの歴史に名を残すアクティビストが表舞台に出てきます。
ロバート・ランドール の無罪 アメリカで初めて合法的に大麻を使えるようになった人物
Robert C Randall(ロバート・ランドール)は、1973年に患っていた緑内障の緩和にCannabisが役立つと気がつき、日々利用していました。
1975年、アパートでCannabisを吸引していたところを偶然捜査官に入られ、逮捕されてしまいます。
しかし、彼は緑内障の緩和に役立つことを記録につけており、法廷で争いなんと、勝ってしまいます。
War on Drugs (麻薬戦争)を標榜していた、ニクソン大統領の失職に次いだフォード政権下では学術的視点を無視し続けました(それどころじゃなかった?)
が、Cannabisのもたらす医療的メリットを全米にしらしめた判決になりました。
ランドールはそのまま、FDAから全米で初めて国からミシシッピ大学で作られるCannabisを処方され続ける人になったのです。
1977年 には、全米で1,000万人以上が栽培し喫煙していた、との記録もあり、日本ほど強く忌避されるものではありませんでした。
2001年没
最強のおばあちゃん ブラウニー・メアリー
ランドールの影響はその後も色濃く残ります。
1980年代初頭、サンフランシスコにCannabis入りブラウニーを販売する、通称ブラウニー・メアリーこと Mary Jane Rathbun(メアリー・ジェーン・ラスバン)が、当地で有名になります。
当時HIVを患っている若い男性が地域に増え、免疫機能が低下し衰弱している彼らにCannabisが有効に働いていることに気がついて、それを振る舞い続けます。
前述の通り違法なことでしたので、彼女は度々逮捕されてしまいます。
アメリカでは刑事罰を与える際、実刑や執行猶予のほかに奉仕活動を命じることがあります。
1度目の逮捕で有罪判決が出た際には、500時間の奉仕活動を命じられます。
ところがラスバンは判決を大幅に上回る長い時間、HIV患者を支援する活動に割いたのです。
実際に彼女は、サンフランシスコ総合病院のエイズ病棟でボランティア・オブ・ザ・イヤーを受賞するほど熱心に働いたと言います。
その後も10年以上Cannabis入りブラウニーを売っていたところ、1992年に1kg以上のCannabis所持で、
この逮捕は、世界中のメディアで取り上げられて、医療大麻が一気に耳目に触れることになります。
この時、1976年 のランドールと同じ法廷戦術で医療上の必要性によるものと訴えて、無罪を勝ち取ります。
1992年の逮捕時、サンフランシスコ病院の医師で彼女の友人であったDonald I. Abrams(ドナルド・エイブラムズ)らが「HIV-1感染症におけるカンナビノイドの短期効果」の実施プロジェクトを立ち上げ、5年後の1997年にNIH(国立衛生研究所)から約100万ドルの資金をつけ、NIDA(国立薬物乱用研究所)からCannabisの提供を受けられるようになりました。
これにより、1996年 にカリフォルニア州で住民投票が行われ、医師の勧めの元で個人の治療の範囲でのCannabis所持・栽培が認められるようになったアメリカで最初の州になりました。
彼女は今なお、HIVを含むあらゆる重症患者のヒロインです。
1999年没
シャーロット・フィギー が CBDを手にするまで
以降、2000年 までに、アメリカでは11の州で医療大麻が次々に合法化されます。
21世紀に入ってもその勢いは止まらず、
- モンタナ州(2004年)
- バーモント州(2004)
- ロードアイランド州(2006年)
- ニューメキシコ州(2007年)
- ミシガン州(2008年)
- アリゾナ州(2010年)
- ニュージャージー州(2010年)
- デラウェア州(2011年)
- マサチューセッツ州(2012年)
と、次々に医療大麻が事実上の合法化。
さらに、多くの都市で嗜好用大麻までも非犯罪化が進められ、規制物質法における大麻法の施行を最も低い優先順位のものとして扱うようになってきました。
連邦法で禁止された大麻 州法で合法化非犯罪化による ひずみ
そのときどきの政権判断により、州法で許可されているのにも関わらず、政権側は例えばカリフォルニア州で医療大麻を栽培している人たちをDEA(アメリカ麻薬取締局、麻取に近い組織)を使って襲撃し、逮捕したりしていました。
次々に大麻が解禁や非犯罪化になっていく流れにあっても、未だ大麻に強い害があることを信じて疑わない層は根強く残っていました。
しかし、前述の通り医療大麻は多くの症状に必要とされていくことがわかっておりました。
そのような中、2006年 双子の天使が医療大麻が合法化されている地域、コロラド州に生を授かります。
シャーロット・フィギーの誕生です。
シャーロット・フィギー に癲癇の症状が出る
双子は元気に育ちますが、3ヶ月すると少しずつ妹のシャーロットに痙攣の症状が出始めます。
2歳になる頃には、認知能力に遅れが出始めてしまい、いくつもの病院を回って原因不明だった病名は、難治性癲癇のドラベ症候群であることがわかります。
自虐行為までみられるようになり、髪を引き抜き頭を自ら打ち付けるように。
食事療法や鍼治療、強い薬も使うようになります。
3歳になる頃、とある薬では一時心臓が止まるような副作用も出てきてしまいました。
ドラべ症候群 は幼くして命を落としてしまう子も大勢いる病気です。
癲癇の犬に使う強力な癲癇薬を使うか、昏睡状態にするかの二択に迫られます。
そんな折、軍人であるシャーロットの父マットが、派遣された先のアフガニスタンで癲癇の子供にCBD を多く含むCannabis オイルを与える動画を偶然見かけます。
CBD が癲癇の発作を抑える?
動画では、4才の男の子に対してCBD オイルを与えていました。
4日間癲癇の発作が起きていないと、その子の父親は答えていたのです。
フィギー夫妻は、Cannabisに寛大なコロラド州に住まいがあるものの、マットはCannabisを吸ったら首馘になる軍人な上、両親にもCannabisは麻薬だから触ったらダメだと、教わった世代の人でした。
また、妻ペイジも当初、Cannabisを使うことに強く反対していました。
しかし、もうそれしか道がないと彼女は行動します。
はじめ、コロラド州都のデンバーにあるディスペンサリーで、店主も驚く誰も買わない CBD 濃度が高くTHC濃度が極端に低いCannabisを購入、友人にオイルにしてもらい、舌下に垂らしました。
すると、週に300回もあった発作は、使い始めて数日、完全に止まったのです。
しかし、あっという間にCBD オイルは底をつきました。
シャーロット・フィギー のCBD オイル シャーロット Web (Charlotte’s Web)が誕生
エリート6人のスタンリー兄弟が経営するコロラド最大級のディスペンサリー兼大麻農家を展開していた、Indispensary(現 Stanley Brothers,現在は7人兄弟で経営)に、高CBD のCannabisがあることをペイジは耳にします。
そして、スタンリー兄弟に聞いて相談すると、処分寸前の状態でした。
通常だったら月2,000ドルもかかる医療用大麻が、スタンリー兄弟から、払える分だけで構わないと提示され、シャーロットの発作は週に300回から1回に減り、発作で苦しんでいた表情は笑顔に変わりました。
それらがCNNにてドキュメンタリー WEEDとして放送された映像は、CBDのすべてを翻訳したことでもお馴染みGreen Zone Japan三木さんによる日本語字幕で見られるようになっています。
必見
2013年にアメリカ最大のケーブルテレビCNNで放映されたこちらは、たちまちのうちに全米に広まり、医療大麻の解禁の声はさらに広がります。
このドキュメンタリーに出演しているSanjay Gupta博士は2013年のインタビューで、2009年には私が大麻に反対する理由。なる投稿をしていたが翻した。
そして、医療大麻についてCNNに出演し発信する必要があると感じたといいます。
Sanjay Gupta先生は、CNNのあらゆる医療ドキュメンタリーに出演する名物医師だったのです。
ドラマティック。
そして、これまでCannabisやHEMPには、医療大麻や嗜好用大麻あるいは産業用大麻としてしか認識のなかった世の中に、CBD という新たな知識を植え付けたのです。
放送直後、全米中15,000 もの家族から、Stanley Brothersへの問い合わせが殺到。
スタンレー兄弟がシャーロットにCannabis オイルを与えた品種から2011年商品化され、最も有名な絵本からのインスパイアで、Charlotte’s Web™ (シャーロット・ウェブ)と名付け、今も全米で最も人気の高いCBD オイルとなっております。
以降、全米にいる癲癇に限らない、難病を抱える世界中の子供達に向けて、Stanley Brothers はCBD 中心のビジネスをすることになります。
全米ではときに人権について軽んじられるようなことも見受けられますが、反面シャーロットが取り戻した笑顔を見て、子どもの人権のために全米中の親が声を挙げたのです。
ついに連邦法に変化が訪れる
1998年 より、カンナビノイドに着目した医薬品会社、イギリスのGW Pharmaceuticals が作った、大麻由来のEpidiolexは2016年 に臨床試験を終えて、LGS(レノックスガストー症候群)、シャーロットも罹患したドラべ症候群向けの薬として販売が開始されます。
そしてついに2018年 THC 0.3%未満とはいえ、スケジュール1に俗される大麻から抽出された薬品がついに、FDAに認証された初めての処方箋と認められたのです。
さらに2020年4月6日 、麻薬スケジュールから完全に除外されました。
今、日本でもエピディオレックスの治験が始まっています。
2020年4月7日 は Charlotte Figi Day
世界中にCBD を広め、アメリカの法律までをも突き破ったシャーロットは、2020年4月7日 に新型コロナウィルスに罹患し他界。
彼女の遺してくれた笑顔によって、世界中の子供たちが救われたことを忘れぬよう、コロラド州のポリス知事は同日を、Charlotte Figi Day として制定。
私達もCBD を扱って日本中に魅力を伝えられていること、彼女への一生の感謝を心に刻み、いずれ多くの苦しむ子供達が救われる日を願ってやみません。
ご注意
こちらのブログは一切、なんらかの医療効果を保証するモノではありません。